人生はドラマです

序章:夢の萌芽

この物語は、今から38年前、藤田様が45歳の時から始まります。当時、健康器具販売会社の雇われ社長として順調な日々を送りつつも、理念を共有できる仲間がいないことに孤独を感じていました。この経験が、人生を再出発する大きな決意へと繋がります。

その時描いた夢は、フランスのバカンス会社『クラブメッド』のような、世界中に旅仲間を作り、共に楽しく遊ぶ「地球人クラブ」の運営でした。この壮大な夢が、喜源物語の原点となります。

挑戦の日々:仲間と学び

夢の実現に向け仲間探しを始めましたが、賛同者はすぐには現れませんでした。2年後、ようやく布施さんと井上さんという二人の仲間と出会い、47歳の時、青学会館で夢のプランを語り合いました。これが喜源株式会社創業の礎となります。

しかし、資金不足という現実に直面。資金作りのための仕事は難航し、さらに2年が経過します。そんな中、クラシック音楽のCD集を普及する仕事に出会います。パブロ・カザルスの『鳥の歌』に心を奪われ、クラシック音楽に没頭。この経験が「感性」「イメージ力」を磨く大きな転機となりました。

イメージトレーニングの先生から「月収いくら欲しいですか?」と問われ、当時の月収20万円からは想像もつかない「月収2,000万円!」と宣言。「想うのは自由」という言葉に後押しされ、この目標を掲げました。

CD販売が不調に陥り窮地に立たされた時、『いまこそ、感性は力』という本、そして感性の師である行徳哲男先生との出会いが訪れます。そこで学んだのが、喜源語録にもある「考えるんじゃない!感じよ!感性こそ命」という言葉でした。

転機:天恵との出会い

行徳先生との出会いから10ヶ月後、乳酸菌発酵エキスとの運命的な出会いが訪れます。当初は乗り気でなかったものの、乳ガンで悩んでいた同志、布施さんの「良さそうよ!」という一言と、「考えるんじゃない!感じよ!」という天の声に導かれ、事業を開始しました。

ここから「天恵」の始まりです。独自の5個セット販売企画が大当たりし、東原先生の応援も得て、売上はあっという間に30億円を達成。月収もイメージ通りの2,000万円を実現しました。この目覚ましい成果は、直感と行動がいかに大きな力を生むかを物語っています。

月収の変化

当初の月収と目標達成時の月収の比較

喜源社:理念の実現

成功の頂点から3年後、突然の解雇宣告。しかし、この逆境が新たな道を切り開きます。仕方なく立ち上げた会社こそが「喜源社」でした。「自分の会社なら、理念どおりの会社にしたい」との想いから、社名を喜びの源『喜源社』と命名。商品名を「天恵喜源」、テーマを「生きる喜び」と定め、30年間にわたり理念を追求し続けました。

事業の発展

  • 天恵に支えられ、事業は順調に発展。
  • 7年で全国会員数5万人の規模に成長。

天恵喜源の成果

  • 5つの特許に支えられた最高のBIOジェニックス製品へと進化。
  • 新型コロナウイルスにも対応すると実証され、BIO-G健康法は世界的にも評価を獲得。

次なる舞台へ:喜源パラダイスと人生の喜び

60歳の時、喜源社の社長を退任。「夢の地球人クラブ」実現のため、セカンドステージとして「喜源パラダイス社」を設立しました。それから20年の歳月が流れ、80歳を超えられました。

「夢の地球人クラブ」計画そのものは完全には実現できなかったかもしれませんが、初心に描いた地球人クラブのような生活は、創業時の同志二人と共に十分に楽しむことができたと語られています。これは、結果だけでなく、過程そのものに「生きる喜び」を見出す、喜源物語の核心を示すエピソードです。

「地球人クラブ生活は、同志二人と共に十分に楽しむ事が出来たのです」